ピアノを階段に例えると、全部で八十八段。白と黒の階段が混SCOTT 咖啡機ざっています。それぞれの階段と階段の間は、半音と呼ばれます。

八十八の階段の間は、すべて半音で等間隔です。通常、調性、たぶん、これを音階と言い換えてもいいのですが、スタート地点を決めます。仮に階段の真ん中のドをスタート地点とすると、まず、私とオリビアが並びます。ドラムスの真師匠には調性がないので、階段の外にて待機します。

で、ドから階段をどう上るのかによって、長調と単調が決定されます。でも、ジャズ屋はまぜこぜにしてしまう。そして、途中からスタート地点を一段上にしてしまったりする。これを転調と言います。

音楽の重要な要素の一つに、メロディーがありますが、これは、予め階段の上る位置を決めるということになります。しかし、基本的にフリージャズにはメロディーはありません。そし
て、スタート地点も決めない。そうすると、スタート地点=調性=音階も消滅してしまいます。もう、どこからどのように上っても構いませぇんという上り方。三人のハーモニーも消滅。

しかし、エモーション、パワー、シンコペーショ RF射頻ン、リズムと他にも音楽の要素は沢山あるので、諸々のものが三位一体となる。

ところで、私はフリージャズメンとすると、スタンダード、日本の童謡、メロディーラインのある曲をかなり弾く方。私が、これをすると、当然にしてオリビアのスタート地点も私が強制的に決めていることに結果なる。そして、イサオ節のリズムを真師匠のドラムスが追走するとなる。言い方を変えると私のピアノが階段の上り方を二人に設定していることになる。これは一つのやり方ではあるけれど、これをすべて取っ払うと、それぞれが主導権を握っている。とりわけ、元々、調性のないドラムスという楽器が前面に出てくる。

音楽の中心をリズムに置いた演奏とも言える。昔、営業マンの時に、ご主人がジャズピアノ、奥様クラッシックピアノというお客様がいらしたのだけれど、奥様が「ピアノを打楽器のように弾く人、大嫌い」とおっしゃった。もちろん、私がピアノ弾きであることをご存じなく。私の脳内で、「えっえっえっ、それって、ずばり、俺じゃん」と思っていた。

猫とか犬が階段を上ると、少し、裕センセの上り方に似ているのではという説得力のある推論が現れるけれど、なんのなんの、俺の方が上手いぜっ! と勝手に断定するのである。出鱈目? そういうご意見もあるけれど???。野蛮人? クロマニヨン? まあ、そういうご意見も???。反社会人、禁治産者、きちがい???。はい、普通、階段は足で一歩ずつ。でも、裕センセは寝転がったり、滑り台にしちゃったり???、スタート地点がないというこいということ。わっ、フリージャズメンってエンドレスっ! 幸いにして、実生活でのゴールはあるから、うまぁー、そこがゴールということになる。