2015年10月


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ギョーザの王将のギョーザが、大好きで、死ぬほど食べまくった時期があってもいい。
にんにくのニオイ、ぷんぷん。毎日、毎日、毎日、同じ味を、それこそ延々と飽きるまで食べる、
でも、なぜか、全然、飽きない。こういう流れもある。

そうやって、影響を受けて変化していく。
変化していくと、好みもだんだん変わってきたり、ますます同じものをHKUE ENG深く追求したり、
熱病はいつまでも続くんじゃないんだ、などなど。
(わたしは、けっこう、長く続く)
熱くなくても、続きはある。
捨てる、やめる、続行する、
お互い、変化しながら、変わっていく。


えっと???なんでしたっけ?
そうそう。。。人のブログに、何を求めるか?でしたね。

私の場合、(皆、そうかも知れないが)、限られた時間の中で、読むブログは絞られる。
稀に新しいお気に入りブログを発見すると、大喜び。毎朝、いの一番に読む。
これらの定番お気に入りとは、別に、ひょんなことで見つけた、面白いブログはあるけれど、
かなしいかな、ブックマークはしていても、全然、見に行かない。
休日、あまりある時間に、ひょこっと思い出して、見てみることはあるHKUE ENGかも知れないが、
あまりそういうこともないので、マーキングしたまま、行かないまま溜まる一方。

でも、素晴らしいブログは山のようにあり、山のようにブックマーキングしていても、
実際には行かないんだったら、なんの意味もない。
本を本屋で手にとって、あれもこれも買って、お持ち帰りし、つんどく、というやつだ。
おそらく、時間だけでなく、思考力も感性にも自分のキャパシティがあるのだろう。

時間は、どう使うか、その優先順序にもよる。
現状では、ブログに割くことのできる時間が少しなら、他の時間を削って、ブログに回すという方法もある。
それで、つんどく状態のブログを読むか???というと、きっと、読まないだろう。
自分の今の状況では、ブログには、ある一定時間だけを割く。この時間バランスが、ベストだ。

このバランスが崩れない限り、今のところは、新しいブログを探すことは、おそらくしないだろう。
仮に、偶然、見つかっても、ひとつか、ふたつぐらい。
じゃあ、ブログになにを求めるか、なんて、書こうとしても、
現状では、今、読んでいるブログだけで充分、満たされているってことだ。
というか、むしろ、わくわくしている。
書くのや~めた、草むしりに専念します、なんて突然、ほったらかHKUE ENGさないかぎり。

つまり???人のブログに、なにを求めているか。
今の自分の興味、考え方、感性に合う、響くもの。
(まったく同一である必要はない。あまりにも一体化していると、発展がない)
へ理屈系、好きだったりする。
それと、自分とイメージをダブらせたり、逆に、自分だったらどうするだろう、と、シュミレーションしてみたり。
ほんの一部分が重なっていて、あとは、違っている、???そんなのが、心地よい刺激になる。




ナゾ扱いにして、わたしのファッションをボロのちょんにけなしていた、わが上娘。
先日、わたしが履いていたシノワズリっぽいルームシューズを、
実家滞在期間中に、いつの間に高麗蔘か、まったく同じものをネットで注文して取り寄せていた。
二人で同じシューズ、なんか、おかしい。たいだ。
だいいち、二足並べてある時、どっちのシューズを履いていいのか、悩む。
せめて、色違いぐらいにしてほしかった。

もっと、驚くのは、???いつもわたしのファッションを理解できない、と、さんざんこきおろしていた実母。
去年の秋、芦屋にいっしょに出かけたとき、「あんたの着ているその服と同じ服、買ってきて」と言われた。
かなりユニークな、デザイン、柄、切り替えのある、コットンの、
くるぶしまであるロング丈、スカスカした、パンツだかスカートだかわからないもの。
「は?」 絶対に無理である。
長いし、裾がぱさぱさ、ぱらぱらして、足がもつれて、コケると思う。高齢の人にはアブナイ。
「これは、おばあちゃんには、ちょっとキツイと思うよ」と逃げた。
あのデザインのものを自分も着ようという、母の感覚も、なんともいえないものがある。


どうやら、わたしのファッションは、無国籍、無所属、年齢不詳らしい。

外国に旅に行っても、現地の人に、現地人として話しかけられることも少なくない。
馴染んでいるというか、息を殺して、目立たない韓國人蔘ように、ひっそり棲息しているからだろう。
ある人にそのことを言うと、
「堂々と歩いているから、姿勢がいいからじゃない?」とのコメント。
それは誉めすぎなので、却下。

「生き方」においては、人の、良いとこ取りをして、あとは、自分の方針で、別々の道を歩む。
ファッションも、わたしの年になると、生き方が現れる。
顔にシワがあり、肌が若い頃と違うのは、当然の年齢であり、同じであるほうが、おかしい。
少々、へんかも知れなくても、自分でいいと思えば、それでいい。
できるだけ、奇抜は避け、目立たないようにする、無難な保守路線も、素晴らしい。
挑戦は控え、手堅く、年齢にふさわしい重厚さを醸し出すのもいい。(ただし、灰色一色で、じじむさくなる傾向あり)
TPOさえわきまえたら、どんなファッションでもいいと思う。

「神戸の人は、おしゃれだ」、若い頃は、そう思っていた。
ファッション?メーカーがうまくそれを利用し、ブランド?イメージ戦略を展開した。
ファッションのみでなく、グルメ分野にも。
神戸を離れて久しい今、神戸ファッション、それほどでもないよ、と思いつつ、
でも、長い間の先入観は、なかなか変わらない。
現地で、多感な年頃に肌で感じた感覚は、自分には強烈だ。

先入観は、見る目を狂わせる。
普通であっても、良いようにも見えたり、悪いように見えたりする。

ファッションだけでなく、なにごとにも言える。

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