ナゾ扱いにして、わたしのファッションをボロのちょんにけなしていた、わが上娘。
先日、わたしが履いていたシノワズリっぽいルームシューズを、
実家滞在期間中に、いつの間に高麗蔘か、まったく同じものをネットで注文して取り寄せていた。
二人で同じシューズ、なんか、おかしい。たいだ。
だいいち、二足並べてある時、どっちのシューズを履いていいのか、悩む。
せめて、色違いぐらいにしてほしかった。

もっと、驚くのは、???いつもわたしのファッションを理解できない、と、さんざんこきおろしていた実母。
去年の秋、芦屋にいっしょに出かけたとき、「あんたの着ているその服と同じ服、買ってきて」と言われた。
かなりユニークな、デザイン、柄、切り替えのある、コットンの、
くるぶしまであるロング丈、スカスカした、パンツだかスカートだかわからないもの。
「は?」 絶対に無理である。
長いし、裾がぱさぱさ、ぱらぱらして、足がもつれて、コケると思う。高齢の人にはアブナイ。
「これは、おばあちゃんには、ちょっとキツイと思うよ」と逃げた。
あのデザインのものを自分も着ようという、母の感覚も、なんともいえないものがある。


どうやら、わたしのファッションは、無国籍、無所属、年齢不詳らしい。

外国に旅に行っても、現地の人に、現地人として話しかけられることも少なくない。
馴染んでいるというか、息を殺して、目立たない韓國人蔘ように、ひっそり棲息しているからだろう。
ある人にそのことを言うと、
「堂々と歩いているから、姿勢がいいからじゃない?」とのコメント。
それは誉めすぎなので、却下。

「生き方」においては、人の、良いとこ取りをして、あとは、自分の方針で、別々の道を歩む。
ファッションも、わたしの年になると、生き方が現れる。
顔にシワがあり、肌が若い頃と違うのは、当然の年齢であり、同じであるほうが、おかしい。
少々、へんかも知れなくても、自分でいいと思えば、それでいい。
できるだけ、奇抜は避け、目立たないようにする、無難な保守路線も、素晴らしい。
挑戦は控え、手堅く、年齢にふさわしい重厚さを醸し出すのもいい。(ただし、灰色一色で、じじむさくなる傾向あり)
TPOさえわきまえたら、どんなファッションでもいいと思う。

「神戸の人は、おしゃれだ」、若い頃は、そう思っていた。
ファッション?メーカーがうまくそれを利用し、ブランド?イメージ戦略を展開した。
ファッションのみでなく、グルメ分野にも。
神戸を離れて久しい今、神戸ファッション、それほどでもないよ、と思いつつ、
でも、長い間の先入観は、なかなか変わらない。
現地で、多感な年頃に肌で感じた感覚は、自分には強烈だ。

先入観は、見る目を狂わせる。
普通であっても、良いようにも見えたり、悪いように見えたりする。

ファッションだけでなく、なにごとにも言える。